役者 クサナギツヨシについて思うこと

昨夜ぼんやりと考えていて、気が付いたのですが、私の琴線に触れる?クサナギさんの演技って言うのは「哀しみ」を表現している瞬間だなぁと、思いました。よ。

サナギさんの演技に初めて「ハッ」とさせられたのは、スタアの恋の時で、電話でヒカル子さんからの申し出を、涙声で断っているシーンでした。
「あれ?草ナギ君って、こんなにお芝居上手だったっけ??」と戸惑ったものです。
草介(こんな字だったっけ?)さんは、あの瞬間、切なさが溢れ出していて。

哀しみを抱いている瞬間だったり、憎しみだったり、怒りだったり、負の感情を表すお芝居、それが私の胸に何かを訴えるというか。

個人的に「いいひと」が好きではありませんでした。もう、見ていられないと言うか、あのドラマを見たお陰で、あれ以降草なぎさん主演のドラマを見なくなるぐらい、嫌でした。(いいひとは最後まで見たけど)
演技下手だなーって。
昨日思ったのは、いいひとは、苦しみとか憎しみとかそういうものを抱えていなかったですよね。主人公君は。
そこが、私にひっかからなかったのかなぁと。

それは、太閤記にも言えると思うんですけど。あの秀吉さんは、もうただただ馬鹿みたいに良い人で、理想ばかりで、その裏にどろどろしたものが存在してないんですよね。憎しみをバネにして、理想を追いかけるわけでもなく、最初からのいい人。
歪みが何処にも存在しないから、面白くも何ともない。


草なぎさんの演技は優しいと思う。
そしてその優しさの中に、哀しみの感情が隠れているような気がする。

ホテルビーナスのラストも、黄泉がえりのラストも、どちらの微笑みも優しくて、悲しくて、痛い。だから暖かいし、その優しさは強くなる。

その表現が巧いんじゃないだろうか。

幸せの表現も巧いとは思いますけどね。
笑っちゃってるのが、幸せそう。僕と彼女と彼女の生きる道然り、黄泉がえり然り。


昨日忘れないようにメモた言葉。夜中だけあって、暴走気味。

    • 優しさの裏に隠されている憎しみ、哀しみ。それらがその優しさを強いものにする。
    • 汚いものが混じれば混じるほど、彼の透明感は増していくような気がする。
    • 他人を踏みにじる残酷さを兼ね備えているような気がする。
    • あの人は、哀しみを体現しているんだ。いるだけで画面が持つのは、それだけで感情が存在しているからだ。そのことにやっと気が付いた。


以上、役者 草ナギさんについてでした。
って、これだけ書いておきながら、私は大してドラマ、見てないんです。
フードファイトも、TEAMも、先生知らないの?も見てない。
他にも見てないのありそうだなぁ・・・。