興行収入が気になったり、韓国での公開形式が、今までとは違うと聞いて思惑が気になったりと、内容よりも、どうでもいい周りのことばかり気になってしまう・・・。駄目じゃん。

ホテルビーナスは変な映画だった。
見に行った人で、泣き所が違うし。(まぁ、泣かない人もいるけど)
私は感情が付いて来ないのに、ポロポロ泣けてしまうという点が不思議だった。

「優しさ」みたいなものかな。

というか、実を申しますと、映画を見る前に小説版を読んでしまっていて、(タイトルなんだったっけ?ビーナスブレンドだったかな?)それで簡単に感情移入しやすかったということもあるんだろうなぁ。

映画と、小説では設定が違う場面もいくつか出ていて。
中でも、チョナンの過去が郵便配達屋というところがなかなか。
あと、彼女がダンサーで、喫茶店?で働いていて、注文を受けるごとにタップを披露していたというエピソードは、映画にも入れた方が、チョナンの苦しみがわかったかも。

既に逝ってしまった彼女と、同じ行動をあえて繰り返し踏襲し、痛みを刻み込んでいるというか。それとも懐かしがっているのか。
死んでしまった彼女のことを、チョナンはどう思っているんだろう。
忘れたいのか、徹底的に考えたいのか。それともさよならをきちんと言いたかったのか。

ずっとずっと、彼女の影を追うように、タップを踏んでいるチョナン。
「タップ」で感情を表現していると、主役は言っていたけれども、もしかしたら、ずっと彼女に語りかけている時間だったのかなぁ。
タップを踏んでいる時って言うのは。

それが、サイたちが現れて、サイと洗濯を干すようになって、その足音から違う意味を持つようになり始めたのかな。
それまではずっと、罪の意識というか、どうにもならなかった辛い現実というか、酷い喪失感というか、そういうものの象徴であったものが、少しずつ意味をシフトしていったのかな。

新しい人との繋がりというか、希望と言うか。

そして、最後にチョナンが踏んだタップは、希望に溢れているのかなぁ。

おぉっ。深く考えようと思えば、案外、つながりはあるものなんだなぁ。


だって、チョナンは恋人が死んだ割には、どうしたいのか分からないんだよね。ぐぢぐぢ悩んでいるわけでもなさそうだし。
生きていても死んでいても意味が無いだけなのかもしれないけど。ただ生きているだけ。
そうか、どうしたら良いのかわからなかったんだなぁ。
消化できていなかったのか。あぁ、そうか。


最後の青の場面の、綺麗さがとても、痛い。
掴む土が、それだけで痛い。
あんなに痛い場面は、そうそう見れない。(嘘ばっかり)DVDでたら、あそこばっかりリピートしたいよ。本当)

草なぎさんは痛いのが上手いなぁ。痛みが痛い。
立ち直ろうと、歩き出そうとするその胸には、きちんと傷跡が残っている印象。
そうやって、人は強くなるんだよ。というか。

それはそうと、小説版では最後の言葉を、恋人に向けて話していた。
映画では、ビーナスに向かって話してた。
私はどちらかというと、小説版の方が好きだなぁ。無理が無いというか。